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神社 [地域]

11日におびしゃの会場となる香取神社の掃除に行った。
簡単な掃き掃除や拭き掃除でそう大したことではなく、
正月に落ち葉などを焚いて暖を取ったために、
落葉の時期を過ぎた今となってはそれほどの作業でもなかった。

実はこの神社、
俺が行くのは恐らく前回以来なので15年ぶりという事になるのかも知れない。
その間に様相は大きく変化していた。
建物そのものは余り記憶もないし、
取り立てて変化も見つけられなかったのだが、
参道や石碑の類は修繕されていた。
まず大きく変わったのは参道だった。
以前は歴史の深い大きな石段で崩れはしまいかというのは大袈裟だが、
そんな雰囲気の物だったが、
石段は石段でも新しさ抜群の石段に変わっていた。
善し悪しは微妙だが、
すっきりとしているのは間違いない。
参道も細長い角石を何本も連ねて設置されていたのだが、
綺麗に舗装された物に変わっていた。
確かに旧来の物では躓いたりしてお年寄りには厳しい物だったので、
これも善し悪しはわからないがきっと正解なのだろう。

しかし、
なんというか、
歴史有る場所であるのにそれを感じさせるのは石灯籠と社殿だけになってしまい、
正直なところ寂しさを感じるのだ。
以前は気に囲まれ、
静けさと神々しさ厳かさと言う物が充ち満ちていたのだが、
周囲の木は伐採され、
石碑の類が社殿の近くに並べられている以外に、
そう言った物を醸し出す物がなくなってしまったために、
そんな雰囲気が全くなくなってしまったのが寂しい限りである。

そもそも神社という物は「古事記」伝来の「八百万の神々」に由来する場所であるのだから、
自然との調和であり、
シャーマニズムに近い物が有るはずなのだが、
そう言った雰囲気を失ってしまうのはどうなのだろうか、
せっかく旧来から生い茂ってきたと思われる木々を無くしてしまってはそう言った原点を無視しているように思えるのだ。
天皇が人間になってから半世紀以上が経過し、
その天皇家の起源とも言われている伝承等は風化してしまったという言うのだろうか、
個人的には天皇家云々ではなく「八百万の神々」を祀るという、
累々と受け継がれてきた伝統と信仰心に敬意を表しているし、
そこから生まれてきた文化を軽視するつもりはない。
そこに何かがあるはずだ。

きっと考えなどがあってした事なのだろうと思うのだが、
自分の地元である事も考えると少し残念に思えてくるのだ。
近代的な空間も良いだろう。
安全である事にこした事はないし、
改めて見える部分もあるだろう。
しかし、
諸手を挙げて評価出来ないのは何故だろう。。。

一つ俺にも良いと感じる事があった。
おびしゃに付いての説明書きが設置されていた事だ。
多少なりともの知識を増やし、
ひょっとした興味を持つきっかけになるかも知れない。
全ての場所はただあるだけではなく、
全ての神事はそれなりの謂われがあり、
ただやっているだけではないと言う事を感じる事が出来るからだ。

この15年の間に大きく変わった。
その間に一度も行っていない自分の愚かしさを感じ、
地域社会と伝統・日本特有文化やそれぞれの保護という見地で、
もう一度自分は振り出しに戻るべきなのではないかと痛感した。


おびしゃ [地域]

おびしゃ音声ファイル

地元には「おびしゃ」と呼ばれる行事がある。
様々な地域に同名の物があるようなので、ネットで検索してみると、その中でも流山市の物が一番有名のようだ。

検索結果
http://www.google.com/search?q=%E3%81%8A%E3%81%B3%E3%81%97%E3%82%83&sourceid=opera&num=0&ie=utf-8&oe=utf-8

しかし、まあ、自分の地域でない物をどうこう言っても始まらないので、自分の地域に戻るとしよう。

野田市の地域無形文化財に指定されているのだが、どうにもこうにも扱いが弱い。
非常に小さい。
果たして本当にこういう文化を保護したいのだろうかと疑問さえ湧いてくる扱いだった。
今年の行事予定にはなく、市のサイト内を検索した所、かつての行事予定でその姿を確認した。

該当ページ
http://www.city.noda.chiba.jp/events/events_14/ev_02.html

そのページ依ると、

「野田市指定無形民俗文化財「船形香取神社御社擅御膳献上式」
船形香取神社    
魚類や野菜約29品目を揃え、調理から神前に供えるまで古式に則って行われる古い形式のオビシャ。天明9年(1789)以前から伝承されている」

と成っているが、これだけである。
なんとなく扱いが不憫に思える。
29品目と具体的な数字を上げられつつも「約」の文字が付く辺り、なんだか解っていない感バリバリである。
「約」をつけるなら30でも良かったろうに、、、
歴史に関してもなんだか微妙だ。
こっちに関しては具体的な資料の残っている具合からこういう表現なのだろうが、少なくともその頃からの物であるのならば、もう少し敬意を払い、どんな事をやるか等の詳細に関して調べられたり出来るようにするべきではないだろうか。
予備知識と市の扱いに対する個人的意見はここまで。

この行事は地域の住民を地区ごとに分け、毎年順番に行っている。
地区はどうも15の様で15年ぶりに自分の地区に持ち回りが回ってきた。
正直、言われた時は何の事だか理解出来なかった。
前回は出席しているのだが、当時もなんだか理解せぬうちに終わった。
ほんと、野田市の行政さん、もちっと調べられるようにしてください。
この15年というスパンは正直言ってやる物には辛い期間だ。
献上式等があるのだが、それはまあ、注意していれば毎年やる物であるし、代表者が執り行うので問題が発生する事も少ないと言える。
しかし、内容はそれだけに完結しない。
「高砂」と「四海波」という物を歌うのだ。
これがなかなかにたいへんなのだ。
参考までにデジタル化して大分クリーンになった音源でWMA作成し一つのファイルにしてアップロードしておくので、試しに聴いてみて欲しい。
内容は平成2年の物である。
これを15年ぶりに歌うのである。
流行歌のように耳にしているならばそこそこは覚えているだろうが、15年ぶりに練習期間を含め一ヶ月程度しか関わりのない物を覚えているはずもない。
その為に練習もあるのだが、頼りになるのは15年前のカセットテープのみだ。
録音状態は非常に悪く、うなってしまう代物である。
たまたま30年前の物が比較的聴きやすかったのでそれで練習をしていたのだが、それも比較論でしかなく強弱などは決して解りやすい物ではなかった。
30年前の物がそんな形であった事も不思議ではあるが、それを使っての練習が出来るだけ凄い。
親父の代に良くできていた物だと、かつての人々に感心する事しきりである。
何しろ録音など出来なく覚えている人が教えるという非常にシンプルな話だからだ。
ここでまた疑問が湧く、よその順番の時に関わらない我々も我々だが、こういう練習の場面では継続されていないのが不思議だ。
練習の際に「山中(地元の地区名・字)流」という事を言っている辺り、その辺は一切無関与で行う物なのかも知れない。
この辺は全く謎だ。
そんな背景もあり、前回は今回程参考になる音源無しの練習でえらく苦労したのを覚えていたので、録音のレベルが低すぎて失敗したと言う、ノイズまみれの音源をデジタル化して掃除をし、多少はまともな音源にしたのである。
これで15年後は多少はまともに始められるだろう。

今年は野田サイト内の検索結果と同様に2月11日に本番がやってくる。
なんとなく正体が掴めぬまま終わってしまい、15年間忘れてしまいそうではあるが、今回から次回にかけては色々と調べてどのような背景の物なのかを熟知したいなと思う。

それにしても良くあのテープがここまで綺麗になったもんだ。
デジタルの脅威ってヤツを改めて思い知った。
こんな作業で伝統文化が少しでも身近になるのならば、もう少し取り入れていくべきだなとも改めて知る事になった。


マックスバリュー [地域]

つい先日、近所にオープンした郊外型の大型スーパーとテナント群である。
自分が住んでいる場所は市の端の方だったのだが、昨年隣の町と合併した事で、地図上では市の中心部に成ったというのも建設に至る課程には存在しただろう。
以前その場所は共同通信社の持つ土地で森だった。
それはそれは深い森だったので、伐採が始まる前からこれを綺麗にするのは大変だろうなと話していた場所だった。
実際、その森がこれほどまで大きな土地に化けると思っても見なかった。
いや、かなりの大きさだと認識はしていたが、現実に伐採が終わった状態を見るのとでは大きく違っていたのだ。
数年前までその森の向こう側にある印刷会社でDTPをやっていた頃は想像もしなかった話である。
いつでもその森は真っ暗だったのを覚えている。
生い茂った木が光を遮り、森の中を覗き込んでも数メートル先まで見えるだけで、そこから先は真っ暗なのだ。
それが今では日当たりのいい巨大なマーケットに変貌してしまったのだ。
この期間にこの土地を離れていたら、戻った時に見るその地形に腰を抜かしたに違いない。

更に近所に道が通る予定だ。
この道は中間が開通しており、うちの近くに来る部分と高速に繋がる道に乗り入れる部分が現在工事中で、高速側は時間の問題で開通する見込みだ。

非常に便利なる反面、かつて遊んだ場所が次々と姿を変えて思い出の物に成りつつある。
歳をとるとはこういう事なのだろうか。
嬉しくもあり寂しくも感じる物ばかりだ。


駅の裏手 [地域]

比較的利用する機会の多い駅に「清水公園」と言う駅がある。
東武野田線にある駅なのだが、春になると桜等で賑わい、少々人に知られていると思われる駅だ。
現在この駅には出口は公園側に一つしかないのだが、その出口無い線路を挟んだ反対側が広範囲に渡って開発中である。
かつては沼や湿地帯、雑草おいしげる荒地だった場所が整備されていっている。
いずれは小綺麗な街になるのだろう。
どんな町並みになるのかは知らないが、大変化するのは容易に想像がつく。
この駅も子供の頃に比べると随分と姿を変えた。
かつては改札を潜りすぐに直接線路を渡って移動したホームも階段で移動する様になった様に記憶している。
それとて20年以上昔の話で記憶としても曖昧な事だが、街が出来れば再び駅舎も変わるだろう。
「開発中」その変化を肌で感じる。
今は比較的静かで穏やかな時間が過ぎているこの駅も、やがてその味わいを失うのかもしるない。


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