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やっぱり村下孝蔵が好き [音楽]

先日無くしたお気に入りのCD(旧あいあいの板参照)を買い直し、サブのマシンにインストールした。
インストールとはなんじゃと思う人が多いことだろう。
最近ではリンクプレーヤで音楽などを再生する習慣がついていて、これがCDをプレーヤに突っ込んで聞くよりも手軽で非常に親しみやすく、快適なのだ。
もちろん音量を出せない夜間などの場合はPCのスピーカでメディアプレーヤを使って再生したりと、実にスタイルを選ばないで良いのだ。
その環境にすることを何と呼ぶか考えた結果が「インストール」だ。
あながち間違った表現ではないだろうと思っている。

さて、
本題に戻そう。
しばらく聞かない期間があったものの、俺はやっぱり「村下孝蔵」が好きだ。
何というか、
心に染み渡るような感触がたまらない。
まあ、
何故か大体において俺は「村下孝蔵」と言っていない。
どういう訳か「Kozo Murashita」と言っている。
理由は全く定かではない。
曲は非常に日本的だし、特にインターナショナルだったとも思っていないのだが、こうなってしまう。
不思議なものだ。

これを書き込んでいる今、
「常緑樹」
という曲を聴いている。
旅に出た後だというのもあるのだろう。
友人Aが色々と大変だった後空いた時間でプラプラと遊びに来ることが増えたのもあるだろう。
その中で感じたことや嬉しかったことなど様々な思いがこの曲でブーストされる。
俺もあいつも随分と変わった。
でも、変わる部分てのは割とそいつらしさを形成している要素としてはどうでも良い部分なんだなあと思う。
究極的には人は変わらない。
まるで変わったなあと普段は思いながらも、ふと笑みを漏らした瞬間にはこう思っているのだ。
「相変わらずだなあ」
と。
そんな思いと曲が深く繋がり音叉のように反応しあう。
俺にとってはそういう曲なのだ。
そして聞くほどに聞きたくなる。
どんなにこの曲達と離れていても、聞き始めた時再び引き込まれてしまう。

思い出すのは村下孝蔵氏が亡くなったと言うニュースを聞いた時のことだ。
あの時俺は印刷屋で仕事をしていて、自衛隊を相手に色々仕事をしていた頃だ。
その日俺は千葉地方連絡部、「千葉地連」という部署に向かっている時だった。
車のラジオからその訃報が流れてきたのだ。
車はハイエース。
その車を駐車する時そこの看板にぶつけてしまったのだ。
動転していたんだね。
悲しかった。
ショックだった。
何か自分の何かがどこかに抜け出して見失ってしまったような感覚だった。
その悲しさを友達多数にメールしまくったのを覚えている。

今は全くの新曲を聴くことは出来なくなってしまったのだが、アルバムなどで使用されずお蔵入りになっていた曲などを含めた新作アルバムなどがリリースされている。
死後発売になったCDも多数ある。
全てサブ機の中にインストール済みだ。
それでもまだ叶うなら、
心に沁みるたくさんな曲を俺たちに作って欲しいと思うのだ。
もちろん叶わぬ望みであることは解っている。
その位残念に思っている。

そしてこう思う。

「やっぱり、村下孝蔵が好き」と


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