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宗教上の問題 [ゲーム]

 マイクロソフトは6日、家庭用ゲーム機「Xbox」用のゲームソフト「格闘超人」の一部で、宗教上不適切な表現があったとして、店頭から回収を始めた。米国ではすでに回収を開始しており、今後、すべての出荷も停止する。ゲーム中に流れる音楽などに、イスラム教のコーランを連想させる部分があり、米国の購入者から苦情があったため、対応したという。

と言う事だ。
なるほど、
イスラム音楽か。
今のアメリカを考えると、
確かに深刻な問題だと言え、
配慮がないと思える。
しかしである。
俺はこう思う。
音楽に罪はない。
確かに現状イスラムの幾つかの国々とアメリカは良好な関係だと言えないし、
激しい物理的精神的苦痛を強いられたのも事実だ。
宗教感的にもイスラムとは合わない部分の方が多い。
当然忌しい記憶や、
怒りを隠せない行為、
それに伴った恐怖等多数あるだろう。
だがそういった苦痛や怒り・恐怖と言ったモノは、
決してイスラムだから発生したのではないのだ。
勿論そんな事は解かっていたとしても、
払拭出来ない確執が存在するのは承知している。
しかし、
全ては「人」の為す「愚行」の範疇にある事でしかない。
そもそも宗教の源なるモノは「人」が豊かな生活を形成する為に歩むべき理想論への1ルートである。
結果への道程が違っていたとしても、
その原点且つ目的たる結果はそう違わないのが大義に於る宗教だ。
だとしたならば、
互いの文化の違いであり、
その一側面たる芸術観に通じる音楽性と言うモノを否定していくと言うのはどうだろうか?
そんな側面にまで拒否を前提に動いては今後いかなる結果に成ろうとも、
両者の関係に好転は成し得ないとしか思えない。
手を取りあう前に成すべき戦いが有るにしてもそうだ。
敵を知らずして真なる勝利は有り得ない。
まず理解しよう、
感じよう、
触れてみよう、
そんな部分から始まるのではないだろうか?

国境は有るものではなく、
人が作りしモノである。
大多数の人民レベルでは大差なく、
国境とは空虚な存在である。
豊かさが溢れた世界なら特にそうだ。
容認と理解が成立し、
人々が助けあえる日はまだまだ遠そうだ。


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