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事件から間もなく10年 [雑記]

地下鉄サリン事件
あの凄惨な事件から間もなく10年という月日が経過する。
テレビなどのメディアもこの事をまた取り扱いはじめ、
そんな番組を目にする機会も多くなった。
まず初めに言っておきたい。
あれは許されざる事件である。
それには激しく憤りを感じており、
事件の関係者を許すつもりは毛頭無く、
断じて許す気はない。

10年という月日は早いようで長く、
現在の若者でよく知らないという者がいても不思議はない程の時間である。
当時10歳でしかなかった者も今は20歳だ。
多くの人が色々と変化してして当然の時間である。
あの日同級生がうちに来る予定だった。
彼が住んでいたのは荻窪。
丸ノ内線を利用して乗り換えを繰り返して来る予定だった。
当初の約束の時間に彼が間に合うように出ていたとしたら、
彼は被害者になっていた。
中学の頃よく一緒に遊んだ同級生だったのだが、
自分が映画学校を出たという話をどこぞで聞き、
当時劇団で頑張っていた彼が話をしようと言うことでの約束だった。
日頃の疲れか、
彼は予定の時間を寝過ごし、
しまったと思いながらテレビをつけると、
あの事件のことを報道していて、
危ないところだったと語ったことを覚えている。
サリンの殺傷能力は非常に高く、
その時に無事生きていたとしても、
後々になってから発癌であるなどの身体の異常を生む可能性が高い、
大変恐ろしい毒ガスである。
別の友人に当時機動隊に配属されていた友人がいる。
彼は当時の活動拠点にエンジンカッター等を使用して押し入ったりした。
当地下鉄の洗浄なども行っていた。
上九一色村での警備みたいなこともやっていた。
当時は色々と現場の話を聞いたものだ。

その犯罪の根元。
あのテロの犯人グループ「オウム真理教」
事件の首謀者であり、
「オウム真理教」の代表でもあった麻原。
彼やその取り巻き幹部がどのような刑に処されようとも、
犠牲者は帰ってこない。
後遺障害で未だ苦しんでいる人たちも大勢いる。
その罪は永遠に風化しないだろう。
しかし、
どこまで彼らを糾弾・断罪し続けようとも、
被害を被った人達の被害が覆ることはないのだ。
どこまで行っても犯罪者の行為は成功のままなのだ。
それが目論見のまま成立した物でなかったとしても、
その破壊行為そのものは予定通り成立し、
予定通りの死者数を出したままなのである。
限りなく成功に近いのだ。
そんな事情を理解し、
事件当時まだ小さかった若者にはこの事件の全貌を知り、
彼らの罪を噛みしめて怒りを感じてほしい。

しかしである。
ここで怒りを感じている我々もしっかりと考え、
しっかりと見なくてはならない物がある。
それは「オウム真理教」から改名し、
「アーレフ」と名乗る集団である。
文字通り彼らはまだ宗教活動を続けている。
果たして彼らが怒りの対象であるべきかどうかである。
疑わしき物は排除。
これは間違ってはいないだろう。
確かにもっとまともな宗教はいくらでもある。
そもそもその宗教自体は紛い物の仏教であり、
様々な宗教をまぜこぜにしてそれっぽく見せただけの物である。
そんなところにいつまでも信心しているのではないとか、
そもそもその宗教と信じている考え方そのものが単なる逃避行為であるとか、
色々言いたいことはあるのだが、
彼らは当時犯罪計画を知っていたかというと、
その多くは疑問が残る。
現在考え方において彼らは大きく分けて3つに分裂しているらしい。
その宗教に対する姿勢はある意味本物ともいえる。
それが紛い物でなければ見上げた行為なのだが、
現状としてまともな宗教に殉じている人達が、
まだまだなだけともとれる。
しかし、
犯罪計画そのものに関与せず、
その存在すらも知り得ていなかった可能性は十分に存在しているのが彼らだ。
もちろん知っていた者もいる。
しかし、
知らずに入信し出家した者達(マンション住まいで出家というのもなんだが)、
彼らは或る意味被害者でもあるのだ。
騙され、
奪われ、
狂わされ、
それを未だに歩み続けている。
そんな彼らを我々はどう受け止めるか、
これが問題だ。
おそらく今後一番大きな問題であり、
一番複雑で、
一番解りにくい物になっているだろう。

宗教というのは必ずしも存在している物ではない。
或る特定の部分から生まれる物もある。
それが虐げられ、
蔑まれしている物から大きな物になることもある。
また、
その虐げられ蔑まれることによって、
その考え方や指導者などが神格化することもある。
それはこれまで人の生んできた宗教にそういった物があることからも明らかだ。
それを認める認めざるに関わらず、
物の考え方である宗教という物は成長するのだ。
あるいは否定するという行為そのものが、
大きく捉えると行程そのものであるのかもしれない。
いずれにしても人の思いという物は、
誰に求めることができないものだ。
誰にも否定できないものだ。
誰にもかき消すことができない物なのだ。

あの事件から10年、
様々な物が変化した。
今後は我々も変化し、
この事そのものを多角的に捉え、
その上でこの事件に対する憤りを忘れないようにしなくてはならないのだろう。


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