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アコなっち [音楽]

DCF_0003.jpg

久し振りのライブになっちゃったなあ

楽しかった

今日はD列だったので
6列目の右の方
なんとも微妙な感じだったんだけど
悪くはない感じだった

それより明日さ!
明日!

俺はてっきり明日のも右端だと思ってたんだけど
最前センターに近いじゃん!
座席表見てびっくりしたよ

まあ
テンション上がってる風だけど
意外に冷静なんだよね 笑
始まったらテンパるかな 笑

画像はなっち作はにわ 笑

今日明日はライブ [音楽]

今日と明日はなっちのライブにに行くので休みです (^^ゞ

やたら久し振りだな
ほぼ毎週行ってた頃が懐かしい 笑
そんな訳でSHIBUYA-AXに向かっております

車で行くか
電車にするか
結構悩むんだよね
駐車場があそこは高いからさ (^_^;)
それだけならそんな悩まなかったりするんたけどね
帰りに飯食ったりしたら電車が危うくなるからさ
まあ
結局電車にしたんだけどね

年に何回かしか電車なんて乗らないから
何とも妙な気分です

7月5日のチケも届いた [音楽]

こっちもSHIBUYA-AXでのなっちのライブのチケ
今度は1階SA列25番

もう一息って感じだけど
まあ
贅沢な悩みか 笑

7月4日のチケットが来てた [音楽]

7月4日のなっちのライブのチケットが昨日届いてた
1階D列34番とか、、、(>_<)

まあ
いいけどね。。。

でも
もっと良い所が欲しかったな。。。

アコなっち当選 [音楽]

夏のアコースティックなっちのチケ当選した
渋谷は厳しいかなと思ってたんで仙台も申し込んでいたんだけど
仙台が落ちて渋谷が二つ当たった

まあ
どっちでも良かったんだけどね (f^^)

何よりもだよ
当選したんだから良かった良かった ☆b(°ー^)

当選したのは
7月4日と7月5日

ヒット曲 [音楽]

先日テレビで2004ベスト100みたいな事をやっていた。
シングルの売り上げランキングである。
驚くのは、
当時はレコードでそれほど音楽に近かったわけではない時代の曲も、
その中に食い込んでいることである。
それだけ誰もに愛されたのだろう。
その時代を振り返るとカーステレオはまだまだ普及していなかったし、
8トラも現役、
今ほど何処にでも優先ラジオがあったわけでもないし、ラジオとテレビの歌番組がメインメディア。
その中にあってそれだけ売れたというのは、
とても凄いことだと思えるのだ。
そしてそういう曲は今聴いてもやはり「力」みたいな物を感じられる。
いい物はいいということだろう。
そして現代。
特に最近はCDが売れない時代といわれている。
バブル期はバカみたいにCDが売れていた。
売れなくなったのは景気のせいだろうか、
売れなくなったのはファイル共有のせいだろうか、
売れなくなったのはコピーを限りなく原音に近い状態で作成できるようになったからだろうか、
どれも違うなと感じた。
確かにバブル期は金額を気にせずバカみたいにCDが売れた。
しかし、
当時のヒット曲の数々を聴いてみると、
最近の曲とは違いその「力」めいた魅力を感じるのだ。
いい物は色褪せない。
そうでない物は風化する。
この図式は絶対に近い。
事実最近の曲でもそういう上位に入ってくる曲にはそういう魅力を感じることが出来る。
売れていないのは最近の楽曲に魅力がないのだ。
もちろん、その時刹那的に魅力を感じたりする場合もある。
聴かれていない曲、
表に出ていない曲にもそういう魅力を持った曲もあるだろう。
しかし、最近の曲に魅力が薄いというのは拭えない事実なのではないだろうか。


やっぱり村下孝蔵が好き [音楽]

先日無くしたお気に入りのCD(旧あいあいの板参照)を買い直し、サブのマシンにインストールした。
インストールとはなんじゃと思う人が多いことだろう。
最近ではリンクプレーヤで音楽などを再生する習慣がついていて、これがCDをプレーヤに突っ込んで聞くよりも手軽で非常に親しみやすく、快適なのだ。
もちろん音量を出せない夜間などの場合はPCのスピーカでメディアプレーヤを使って再生したりと、実にスタイルを選ばないで良いのだ。
その環境にすることを何と呼ぶか考えた結果が「インストール」だ。
あながち間違った表現ではないだろうと思っている。

さて、
本題に戻そう。
しばらく聞かない期間があったものの、俺はやっぱり「村下孝蔵」が好きだ。
何というか、
心に染み渡るような感触がたまらない。
まあ、
何故か大体において俺は「村下孝蔵」と言っていない。
どういう訳か「Kozo Murashita」と言っている。
理由は全く定かではない。
曲は非常に日本的だし、特にインターナショナルだったとも思っていないのだが、こうなってしまう。
不思議なものだ。

これを書き込んでいる今、
「常緑樹」
という曲を聴いている。
旅に出た後だというのもあるのだろう。
友人Aが色々と大変だった後空いた時間でプラプラと遊びに来ることが増えたのもあるだろう。
その中で感じたことや嬉しかったことなど様々な思いがこの曲でブーストされる。
俺もあいつも随分と変わった。
でも、変わる部分てのは割とそいつらしさを形成している要素としてはどうでも良い部分なんだなあと思う。
究極的には人は変わらない。
まるで変わったなあと普段は思いながらも、ふと笑みを漏らした瞬間にはこう思っているのだ。
「相変わらずだなあ」
と。
そんな思いと曲が深く繋がり音叉のように反応しあう。
俺にとってはそういう曲なのだ。
そして聞くほどに聞きたくなる。
どんなにこの曲達と離れていても、聞き始めた時再び引き込まれてしまう。

思い出すのは村下孝蔵氏が亡くなったと言うニュースを聞いた時のことだ。
あの時俺は印刷屋で仕事をしていて、自衛隊を相手に色々仕事をしていた頃だ。
その日俺は千葉地方連絡部、「千葉地連」という部署に向かっている時だった。
車のラジオからその訃報が流れてきたのだ。
車はハイエース。
その車を駐車する時そこの看板にぶつけてしまったのだ。
動転していたんだね。
悲しかった。
ショックだった。
何か自分の何かがどこかに抜け出して見失ってしまったような感覚だった。
その悲しさを友達多数にメールしまくったのを覚えている。

今は全くの新曲を聴くことは出来なくなってしまったのだが、アルバムなどで使用されずお蔵入りになっていた曲などを含めた新作アルバムなどがリリースされている。
死後発売になったCDも多数ある。
全てサブ機の中にインストール済みだ。
それでもまだ叶うなら、
心に沁みるたくさんな曲を俺たちに作って欲しいと思うのだ。
もちろん叶わぬ望みであることは解っている。
その位残念に思っている。

そしてこう思う。

「やっぱり、村下孝蔵が好き」と


好きなCD [音楽]

大好きなCDが行方不明だ。
そのCDは村下孝蔵の「陽だまり」。
ついこの前まで身近な場所にあったように思っていたのだが、
車で聞くべく持ち出したのか、
はたまた誰かに貸したのか、
どこに消えたか不明である。
まあ確かに大好きだと言いながらも、
ここ最近聞いていなかったのは確かなのだが、
村下孝蔵の生きていた頃のアルバムの中では大のお気に入り。
収録曲は

1.砂の女
2.夢からさめたら
3.白い花の咲く頃
4.折り紙
5.珊瑚礁
6.陽だまり
7.坂道から
8.哀愁物語
9.常緑樹
10.約束

となっている。
デュエットの曲だけちょっと好みではないのだが、
それを差し引いても全てのアルバムで一番という位に好きなのだ。
それがどこを見渡しても無い。
どうしても聞きたい。
何日もかけて捜索したりすれば出てくるのは解っているのだが、
今は廉価版が手に入る。
事実今まで持っていたのもその廉価版。
むしろ、もうそれが無くなっている可能性の方が高いと判断した俺はアマゾンで検索。
廃盤に成っていると思われる物が数点有ったが、
幸いこのアルバムは健在のようで3~4日で配送になっていた。
すかさず注文してしまった。
何時何処で何処にやってしまったのか、
やりきれない思いでいっぱいである。
借りた人がいたら教えてほしい。
その時はきっと二枚手元にある喜びになるに違いない。

ちなみに二番目に好きなのは「新日本紀行」


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